変わり者、ジレンマ、成れの果て ①
中学生時代、僕は人じゃなかった。重度のアトピーで外見は醜く、終わりのない痒みと痛み。服には数え切れない血の跡。
体を引っ掻く度に身体も心も傷付いていく。
僕は「普通」じゃない。友達という「普通」の人間は僕の周りからいなくなった。
人じゃない僕は全てから距離を置いた。この気持ちは誰にも分からない。理解したフリをして安い気休めの言葉を掛けてくる他人を何度も信じた。それに救いを求めるたびに裏切られ、傷を増やした。
もう心も身体も傷付きたくない。僕は身体の代わりに壁を引っ掻いた。床を引っ掻いた。これが僕の代わりに傷付いてくれるならと。
僕は人の成り底ないだ。不良品だ。人では無いのだ。僕は人になることを願った。
もうその頃には自分がまだ人だと認識されていた頃、一体どんな思考で立ち居振る舞いをしていたか、どんな人間関係の中にいたか、何も思い出せなくなっていた。
何とか人のフリを精一杯演じているうちに転機が訪れた。高校に進学する頃、アトピーが引いた。
月日にして6年ぶりに僕は人の外見に戻った。初めて会う人が僕を人として接してくれる。今までの人生で人目もはばからず泣いたのはこの時だけだろう。
しかし問題があった。人としての生き方が分からない。友達の作り方も、会話の仕方も。
6年間で全てを失くした。学べなかった。
だから僕は人を真似た。いや、演じた。周りの「普通」にしがみついた。
身体は人になった。しかし心は元には戻らなかった。他人からも自らも、6年間否定され、傷つき過ぎた心に自我は残ってなかったようだ。
「居てもいなくてもいい人」
「存在感が無い」
人を通り越して透明人間か。何かの悪い冗談だ。
人に戻れた次は人として認めてほしい。人間の欲には底がない。例え僕の様な成り底ないでも。
どうすれば認めてもらえるのか。周りを見て考えた。
学校などの集団では、スポーツや勉強が特にできる訳では無いが、しばしば話題の中心になる人がいた。そういう人を周りは「あいつは変わっている」「何を考えているか分からない」
「変人」だと評した。
僕は「これだ!」と思った。「普通」がダメなら、あのいつも話題の中心にいる人の様に個性的な、そう「変わり者」になればいいのだ。
僕は「普通」と違う行動をした。周りがしない事、反対の事、びっくりする事。
それらをする度に透明人間だった僕に、徐々に輪郭ができ、色がつき、形が分かるように自分という存在が明確になっていくのを感じた。
話題の中心にはなれなかったけど、僕は集団内で「変わり者」になった。そしてそれは僕の「居場所」となった。
心に何ともいえない感覚があった。初めてのような忘れていたような、アトピーで人でなかった時には無かった、それ以前かにあった感情。
ああそうか、そういえばこれは「嬉しい」というやつだったな。
僕は噛み締めた。「もっと欲しい」と生まれて初めて思った。
この感覚を忘れたくないからもう「普通」には戻らないと心に決めた。
でも僕は本当は気づいていたんだ。
確かに「変わり者」にはなった。ただそれは「変わり者」の特徴を真似ただけだ。個性があるかどうかは分からない。
もしかしたら「普通」と同じく演じているだけじゃないのか?と。
しかしその時は自分の「居場所」の心地良さと、過去に戻りたくないという気持ちから、それ以上は考えなかった。