書きたいことが書きたくないこと
私はブログを書きたい。もっと書きたい。書いている、書けているんだ。
しかし書きたいことが書けていない。書けない。
考えていた内容が表現出来ない。書いているうちに意味が分からなくなる。
なぜ書くのか、誰に書いているのか、それが書きたかったのか、その内容は必要なのか、
話は繋がっているか、それが本当に伝えたいこと伝えたいことなのか。
私は表現したい。今までにしてきた経験を、その中で気づいた事を、次に活かせる教訓を、
辛い境遇も、これからのことも、もっともっと表現したい。
でもできない。体が書くことに向かわないんだ。
あぁそうか。書きたい気持ちは確かにある。しかし書けないのは、心の奥では判断されているんだ。
無意味だと。
書いてどうなる?書けたとしてどうなる?表現できた先に何がある?
無意味だ。今までもそうだったじゃないか、分かっているんだろ?
お前は何一つ継続できた試しがない。仕事も、趣味も、人間関係も。
だからこれからも続かない。積み上げない。広がらない。
お前はそういう人間だ。世間ではそういう人間をクズと言うのだろう。
クズは役立たず、そんなものが表現するものを誰が必要とするんだ?
ああ、無意味だ。書くことは無意味だ。ならば今まで経験も、これからの未来も無意味なのか?
もう無意味でいい。意味なんて必要な人だけ求めればいい。
これもまた、何を書いているか分からなくなってきた。どんな気持ちで書き始めたかも、何を伝えたいかも分からない。今回も意味のある物に出来なかった。
また無意味か。