あの未来に続く為だけの、それだけの人生だ。

悲観と懺悔溢れる 幻想の埒外の辺境地

夢を見ていた

あの日、僕は自転車に乗っていた。ロードバイク、本格的なスポーツだ。

田舎の山々に囲まれた川沿いの道を走っている。聞こえる音は風と川のせせらぎだけ。もうどれだけ走っただろう?そんなことはどうでもいいと思える程、自然に心が癒されていた。

疲れを忘れ、軽快に自転車を進めていると、僕と同じような自転車乗りが前を走っている。

「あの人も僕と同じ道を走ってきたのかな?」

同じ景色を見てきた者同士、妙な親近感を覚える。そんなことを考えてるうちに、前を走る自転車乗りの背中が近くなってきた。

自転車の走るペースは僕のほうが速い。抜かそうと思えばいつでも抜かせられる。でも今日の僕は心が穏やかだ。スポーツとして張り合う気は全くない。相手もそんなことをする気もないだろう。僕が相手の立場だったら、そんな意地の張り合いよりも辺り一面の、喧噪とは無縁の光に満ちた景色の中で、心を乱すことをしたくないからだ。

時間を急ぐ理由もない。僕はペースダウンして景色を堪能した。元々は当てもなく走ってきた道だった。それは時として思いもよらない場所へと繋がることもある。この日はまさに「繋がる」日だった。

信号のない道、どこまでも透き通る川の水、綺麗な二等辺三角形をした山々、地球が悠久の時を刻んできたことを教えてくれる断崖絶壁。

流れていく景色を忘れまいと目に焼き付ける。気が付くと前を走る背中を見失っていた。それもいいか。また会う日まで。

 

自然の景色もいつまでも続かない。自然に調和しない配色の、無機質な建物が徐々の多くなってくる。町が近い。

町に入るとまずはコンビニを探す。補給のための休憩だ。特に空腹というわけではなかったが、なにせ当てもなく自転車で走っていくんだ。次の補給は何処になるか分からない。強引にでも腹に詰め込む。

 

街中ではロードバイクは車道の左端を走る。車と並走、原付と同じ道だ。

この日は確か平日だったはずだが、この町は思いのほか交通量が多い。これがこの町の日常なのか。

等間隔に配置された信号が僕の足を止める。信号待ちで周りを見渡すと高級車が多いことに気づく。海外の大柄な車体のSUV、世界に名だたるスポーツカーなど自然の景色とはまた違った風景が僕の目を楽しませる。注意深く見ると、そういった車のドライバーは女性が多かった。なるほど、この地域は高級住宅街なのかもしれない。僕は普段よりさらに道の左に寄って、高級車に気を使いながら町を走る。何かの拍子で接触などすると…、考えたくもない。

 

先を進むと段々と車線が少なく、道路も狭くなってくる。坂道が増えてきた。道沿いはスーパーや飲食店から住宅街へ。もうすぐ町の出口だ。

郊外の小刻みなアップダウンの道を経て、長い長い上り坂に差し掛かる。景色は閑静な住宅街。規則正しく立ち並ぶ家は多種多様だ。

コンクリートむき出しの無機質な家、西洋風のお洒落なレンガ造りの家、大きな門構えの豪邸、ひっそりと佇む湿った木の匂いの漂う家。

家は人生で一番大きな買い物と言われており、何十年も使うものだ。見た目にそれぞれの個性や価値観が表れている。これも飽きない景色だ。ここまでくると交通量も少ない。脇見でじっくりと建物の造形を堪能できる。しかし道は延々と続く坂道。体力がキツくなってくる。

 

なるほど車は必需品だ。この坂道を普通の自転車で日常的に上り下りするなんて悪い冗談だ。

やがて隙間を埋めるように建っていた家々も少なくなり、緑の匂い、木の匂いがしてきたら、いよいよ山の入り口だ。

坂の勾配がいっそうキツくなる。山頂まで続く坂道。初めての道だから距離の見当もつかない。ここからは自分との戦いだ。進むごとに上がる心拍、息をするのも一苦労。重力に逆らい進む脚がいうことを聞かなくなる。もう限界だ。立ち止まれと頭の中で警鐘が鳴っている。