あの未来に続く為だけの、それだけの人生だ。

悲観と懺悔溢れる 幻想の埒外の辺境地

「変わり者」が語る「変わり者」について

 

 

「あなたは変だ。理解できない。何を考えているの?なぜそんなことが言えるの?ねえ、どうしてほしいの?頭の中はどうなってるの?なにが気に入らないの?わたしはあなたの事がてんで分からない。」

 

本当にどうしようもなく「変わってる人」「狂ってる人」はこんなこと言われるんだよ?真顔で。

悪気なんて無い。良かれと思ってやった結果がこれなんだよ?

 

定形の方々の承認欲求、「すいませんが」と同義の前置きとはわけが違う。理解を放棄される言葉なんだよ?

その苦しみがわかるか?得体の知れない異物と扱われ、意思を承認されず、言動を否定される。理解がないからそこに慈悲なんて無い。

ただただ境界を設けられ限りなく遠い場所から接せられる。いや、コンタクトされる。距離はもうどうしたって埋まらない。愛情を向けられる分動物(ペット)のほうがまだマシだ。

 

私に向けられた「変わってる」「変人」「頑固者」「狂ってる」の実際はこんなものだ。

誰にも許容されない「変人」は地獄だぞ。

 

勝手な想像だけどこうやって世間の爪弾きにされて誰にも理解も相談もできず、命を絶った人も多いと思う。誰に悩みを相談したって分かってもらえず、考えすぎ、頭がおかしい、偏屈、頑固、妄想が激しい、そんなの誰にも理解されない。そんなことを誰もかれもから言われる世の中なんて楽しいはずがないじゃない?もう居場所なんか無いじゃない?私はなんとか苦しいながらも折り合いが付けれているから大丈夫だけど本当に辛い世の中だと思う。

 

たまにいる自称「変わり者」、変わり者と言われて嬉しいといっている人、それは仲間内での会話のみに留めておきなさい。

あなた達のような「普通」の人が語る「変」と、「普通」になりたくてもなれない「変わった人」の「変」は全く異質なものなんだ。

あなた達はその本当の「変」を理解できない。一対一で相対したならばあなたはその個性に太刀打ちできない。仲間と示し合わせてその変人に相対しなさい。そしてできればその個性を認めてください。悪気はないんだ。物事の捉え方が違うだけなんだ。迷惑をかけたいだなんて思っていない。むしろ役立ちたくて行動しているんだ。でも捉え方が違うから奇異に目に映るんだ。

でもどんな言葉で語ろうと、どんな行動で示そうと理解されることは稀なのだろうな。変わり者が変わり者たる所以、それは他者の気持ちが理解できないからなんだから。

自分が変わり者だと自覚して、周りに合わせれば合わせるほど行動が歪になる。それを指摘されて結局変人扱い。変に思われてることも分からないから愚直に続けてしまう。そしてストレスが積もり積もり限界になる。

そして諦める、自分の存在も可能性も。世の中に絶望しながら生きていく。そんな人を何人か見た。「周りと考え方が違う」それだけ。

ただそれだけで人の人生は終わる。動物の世界と同じだ。群れから追い出された者の末路と同じだ。少なくとも長生きはできない。

人間だって同じなんだ。幸福とか自由とか平和とかどれだけ美辞麗句を並べ立てても本質や自然の原理には逆らえない。適者生存の結果だ。

私もASD、群れから離れた個体。この自然の原理が適応されるかも知れない。実際ひとりだ。しかし絶望はしていない。この現代の人間社会、孤独だけでは死にきれないコンテンツに溢れている。

誰にも承認されなくても、誰にも知られなくても、この溢れるコンテンツの中から「生きてる実感」を探し出すことが出来るはずだ。その希望だけを胸に今日も生きてる。

 

話が全然まとまってないが、「変わってる」「狂ってる」などの言葉はある人からしたら苦痛が伴う言葉だからあまり軽々しく使ってほしくない言葉だなと思ったわけで。

私だけじゃないと思うが、ASDやギフテッド?の気質のある人達は言葉をちゃんと意味通りに使う傾向があると思う。感じや雰囲気だけで安易に言葉を選んで扱う気は無い気がする。

私の場合は自分の中で意味が曖昧な言葉は絶対にネットや辞書で調べてから使う。曖昧なまま使えない、というか気持ちが悪いのだ。文章を読んでいて繋がりが変なのが気になってしょうがないから念入りに調べる。この感じ、分かってくれる人多いと思うけどなぁ。

 

そういうことで「変わり者」という言葉にも自分なりの意味、経験が詰まっている。だから軽々しく思える使い方に対して過敏になってしまう。周りから承認されているならいい。でも本当に孤独な人が受け取る「変わり者」という言葉は天と地ほど意味の差があることを知ってほしい。

 

最後に、自称「変わってる人」へ。

安心してください。あなたは普通です。普通の上で成り立っている変な人です。本当に変な人は嫌われますが、あなたはその変わっていることによって好かれたいのでしょう?承認欲求の一種ですよそれ。

話の前置きに「変わってるかも知れない」とか「変わってるっていわれる」とか付けるのはいいですけど、本当は会話で地雷踏んだときの免罪符として使ってますよねそれ。保身のために変人気取りは見苦しいですよ。それに本当の「変わった人」は自覚できないから自分で変な人と言いませんよ。変わってると自称してる時点で典型的な模範的な普遍的な常識的な普通の人ですよ。もっと普通を誇りなさい。

 

 

 

なんか今回は毒吐いちゃったな。反省。